私たちの想い
札幌生まれの婿養子が、なぜ「まもる農業」を掲げるのか。四代目・松橋泰尋の志と、ここまでの歩み。
考え方
私は札幌生まれです。2011年、農家の婿養子として更別に来ました。1930年の入植から四代続いた畑を預かる責任は重大です。だからこそ、やりがいがある。そう思って、この畑に立っています。
つくることは、その日の食卓のため。
まもることは、子どもたちの世代の、その先のため。
2020年、世界が大きく揺れたとき、はっきり分かりました。つくるだけでは、守れない。土も、水も、種も、二百年の血統も、そして食べてくれる人との関係も。守らなければ、つくり続けられない。世界一の赤身和牛への挑戦も、農家バルも、農家の備蓄も、ばらばらに見える私たちの仕事は、すべてこのひとつの考えから生まれています。
できない理由を探すより、やる方法を探す。サンタの衣装で飛び込み営業をした日から、帝国ホテルへ、海外へ、そして全国15拠点の備蓄という計画へ。松橋農場は、更別から日本の農業の「次」を引っ張っていきます。
映像で見る
2026年9月、講談社エディトリアルフィルムの「未来へのロケハン」が更別の農場を訪ねました。牛舎で、畑で、倉庫の前で。松橋がいつもの調子で話した5分間です(映像の18分23秒から)。
映像の中の、本人の言葉
「大量生産、大量消費とはちょっと別な形で、こだわった牛肉をつくる。うちは少ない頭数で飼っています」
「持続可能な農業の土づくりに僕たちは集中して、次の世代に渡す。それが、いま私たちに課せられたミッションだと思っています」
「今年は、僕の代でたくさん失敗をします。潰れない程度に。もし潰れそうになったら、皆さん助けてください」
「2043年までに竹の谷蔓牛を500頭にする計画を、仲間とコツコツやっています。そのときには、世界一が見える景色に行っているんじゃないかな」
映像:講談社エディトリアルフィルム「未来へのロケハン」(講談社 C-station公式YouTube、2026年9月29日公開、撮影 中村祐太)。言葉は映像から書き起こし、話し言葉のまま整えています。



四代目の歩み
札幌から更別へ来て15年。志は変わらず、やることは増え続けています。
妻との結婚と出産を機に、松橋農場の四代目に。「生まれてきた理由も、妻と出会った理由も、この農場を堂々と次に渡すため」。
松橋和牛の赤身肉を抱えて、店を一軒ずつ。断られても笑って次へ。その熱は、やがて帝国ホテルの厨房に届きました。
「純系黒毛和牛の赤身肉で世界一」を本気で目指し、更別の和牛を世界の食卓へ。
種も、肥料も、水も、できる限り農場でまかなう。「何があっても生産できる農家」へ、農業のあり方を理念から見直しました。
岡山・平田五美さんのもとから、純系の雄「井武輝」の血を引く牛が更別へ。二百年の血統を北の大地で受け継ぎ、国家指定牛を求める陳情にも動きました。
会員の一年分の小麦・大豆・米を農家が育てて備える、ほかに例の少ない仕組み。法人の受付がはじまりました。
会員2,500人分を36haの畑で育てる更別のモデルを、全国の農家仲間へ広げる計画です。食べものの不安がひとつもない日本を、この畑から。
「日本に食糧危機は起こりません」。いつか、誰もがそう言い切れるように。海外に頼りすぎない農業と、人と農家が支え合う文化を、この十勝・更別から育てていきます。
何があっても生産できる農家であり続けること。つくる人と食べる人が直接つながること。そして万が一のときは、互いに助け合えること。CSA(地域が農家を支える仕組み)と食料備蓄と有機農業とローリングストック。この4つをひとつにした、ほかに例の少ないモデルを、全国の農家仲間へ広げます。
次の世代へ
1930年、開拓の鍬がおろされてから90年あまり。この畑は、いつの時代も「次の代へ、より良く手渡すこと」を考えてきました。まもる農業は、その続きにあります。
開拓団の一員として河西郡更別村香川区に入植。何もない大地に、最初の鍬を入れました。
戦後の激動の時代を畑とともに生き抜き、農場の礎を固めました。
酪農と畑作で農場を育て、2014年、最後のホルスタインを見送って次の時代へバトンを渡しました。
婿養子として就農した四代目は、世界一の赤身和牛への挑戦、農家バルFOOD BABY、そして農家の備蓄プロジェクトへと農場を広げています。
「初代から四代紡がれたこの農場を、堂々と子どもたちに渡す」。それが四代目の天命であり、まもる農業のゴールです。