江戸より​続く、​いのちの系譜 日本最古の蔓牛

日本最古と​いわれる​和牛の血統

二百年、
途切れなかった​命がある。

日本最古の​血統竹の谷蔓牛

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江戸の頃。
岡山の​山あいの、​竹の​谷と​いう​小さな谷で、
ひとりの​牛飼いが​決めた​ことがある。

いちばん良い​牛の血を、
絶や​さず、​次の代へ。

「蔓​(つる)」と​呼ばれた​その​系譜は、
戦争の​時代も、​飽食の​時代も、
静かに、​確かに、​受け継がれてきた。

効率が​求められた時代。
霜降りだけが​評価された時代。
それでも​竹の​谷の牛は、
牛らしく​生き、​和牛の​源流で​あり続けた。

■ 竹の​谷の​牛舎にて

蔓牛とは

「蔓牛」とは、
血統に​込めた​約束のこと。

蔓牛​(つるぎゅう)とは、​優れた​資質を​代々受け継ぐよう​大切に​育まれてきた​和牛の​系統の​こと。​なかでも​岡山県新見市・竹の​谷で​江戸時代後期に​生まれた​「竹の​谷蔓牛」は、​現存する​日本最古の​蔓牛と​いわれ、​黒毛和牛の​源流の​ひとつとされて​います。​飼育頭数は​ごく​わずか。​数字の​上では​「希少」の​ひと言ですが、​その本当の​価値は、​二百年もの​あいだ人から​人へ、​牛から​牛へ、​途切れずに​手渡されてきた​「約束」​その​ものに​あります。

江戸時代後期

岡山・竹の​谷で​系譜が​生まれる

山あいの​谷で、​優れた​牛の​血を​守り継ぐ​「蔓」​づくりが​始まる。​日本最古の​蔓牛の誕生。

明治から昭和

黒毛和牛の​源流として

近代和牛の​改良が​進むなか、​竹の​谷の​血は​和牛の​礎の​ひとつとなる。​一方で、​その​純粋な​系統は​少しずつ数を​減らしていく。

2022年 岡山県新見市 神郷釜村

手書きの​血統書との出会い

竹の​谷蔓牛を​守り続けてきた​生産者・​平田五美さんを​訪ねる。​手書きで​書き継がれた​血統書には、​途切れる​ことの​なかった​系譜が​確かに​記されていた。

2023年 岡山から更別へ

血統は、​北の大地へ

純系の​雄​「井武輝​(いぶき)」の​血を​引き継いだ息子が​岡山から​更別へ。​平田さんは​約40年ぶりに​上京し、​竹の​谷蔓牛活性化協議会の​仲間とともに、​国の​指定牛を​目指す陳情にも​立った。​血統を​未来に​残す挑戦が​続いている。

いま、​十勝・更別で

純系黒毛和牛の​赤身肉で、​世界一へ

霜降りだけが​ごちそうじゃない。​松橋農場は​この​系譜を​十勝の​風土で​育て、​本来の​和牛が​持つ赤身の​美味しさで、​世界一の​国産黒毛和牛に​挑みます。

継承の物語

二百年は、
こうして​手渡された。

血統の​継承は、​書類の​サインでは​終わりません。​牛の​洗い方、​水の​飲ませ方、​名前の​付け方。​谷で​続いてきた​日々の​営みごと、​人から​人へ​引き継がれてい​きます。​これは、​その​記録です。

岡山県新見市 神郷釜村
血統書を挟んで語り合う松橋と平田さん
■ 血統の​資料を​挟んで。​話は​何時間でも​尽きない。
第一章

谷での​出会い。

2022年、​松橋は​岡山の​山あい、​竹の​谷を​訪ねました。​「竹の​谷蔓牛保存会」の​看板が​掛かる​古い​牛舎で​迎えてくれたのは、​この​血統を​半世紀に​わたり守り続けてきた​生産者・​平田五美さん。​初対面の​北海道の​若い​農家に、​平田さんは​牛の​こと、​谷の​こと、​先人の​ことを、​惜しみなく​語ってくれました。

牛舎に佇む平田五美さん
■ 牛舎にて。​平田五美さん。
第二章

谷の​守り人。

飼育頭数が​ごく​わずかに​なっても、​市場の​流行が​どれだけ​変わっても、​平田さんは​牛らしい​牛を​育てる​ことを​やめませんでした。​夏の​盛りには​一頭ずつ水を​浴びせ、​名前を​呼ぶ。​その​静かな​日常こそが、​二百年の​系譜を​守ってきた​「技術」​その​ものでした。

手書きの血統書
■ 手書きで​書き継がれてきた​血統の記録。
第三章

手書きの​血統書。

「ちよの​まき」​「ささの​まき」。​鉛筆で​書き継がれた​系譜の​紙には、​何代にもわたる​牛たちの​名前が​びっしりと​並びます。​データベースも​登記簿も​ない​時代から、​この​紙と​人の​記憶だけが、​血統の​証明でした。​松橋は​この​紙を​前に、​預かる​ものの​重さを​知ります。

トラックを見送る平田さん
■ 更別へ​向かう​トラックに、​手を​挙げて。
第四章

旅立ちの日。

2023年、​純系の​雄​「井武輝​(いぶき)」の​血を​引き継いだ息子牛が​谷を​出て、​1,500km離れた​北海道・更別へ​旅立ちました。​緑の​幌の​トラックが​山道を​下っていく​とき、​平田さんは​手を​挙げて​見送りました。​それは​別れではなく、​系譜が​次の​土地で​続いていく​ことへの、​送り出しでした。

東京駅にて、松橋と平田さん
■ 東京駅・新幹線の​りばにて。
第五章

四十年ぶりの、東京。

血統を​国の​指定牛に​して​もらう​ための​陳情へ。​平田さんは​約40年ぶりに​上京しました。​スーツに​帽子姿の​平田さんと、​隣に​立つ松橋。​世代も​土地も​違う​ふたりが、​同じ​目的の​ために​東京駅に​立つ。​竹の​谷蔓牛の​二百年で、​はじめての​光景かもしれません。

平田五美さんのポートレート

この笑顔から、​受け取った。
次の​五十年は、​私たちの​番です。

■ 谷の​守り人、​平田五美さん。

そして、​次の手へ

平田さんから、​松橋へ。
松橋から、​5人の​子ども​たちへ。

松橋農場の​四代目・泰尋には、​5人の​子どもがいます。​井武輝の​血を​引く​牛の​世話を​する​父の​背中を、​子ども​たちは​毎日見ています。​竹の​谷から​更別へ​渡った​バトンは、​いつか​この​子たちの​手に​渡る。​継承の​物語は、​現在進行形です。

額装された往年の竹の谷蔓牛の写真
■ 谷の​家に​残る​一枚。​額の​中から、​歴代の​名牛が​こちらを​見ている。

谷の記憶

谷の​家には、
牛の​「遺影」が​飾られている。

畳の​間に、​大切に​額装された​牛の​写真。​竹の​谷の​家々では、​代々の​名牛が​家族のように​記憶されてきました。​写真の​横には、​手書きで​書き継がれた​血統書。​パソコンも​登記簿も​ない​時代から、​人の​手と​記憶が、​この​系譜を​二百年運ん​できたのです。

私たちが​更別で​預かったのは、​牛だけでは​ありません。
この、​記憶の​続きです。

これが、​二百年の断面。

雪のような​霜降りではなく、​深く、​力強い赤。
和牛の​原点は、​赤身の​美味しさでした。

■ 竹の​谷蔓牛の​赤身​(松橋農場提供)

いま、更別で

二百年の​血統は、​いま更別の​牛舎にいる。

岡山・竹の​谷から​渡ってきた命は、​十勝の​空気と​水と​草で、​今日も​静かに​育っています。

■ 更別村・​松橋農場の牛舎
牛舎で牛たちを見つめる代表 松橋泰尋
■ 牛舎で。​次の​走者へ​手渡すまでが、​私たちの仕事。

私たちの役目

私たちは​「所有者」ではなく、
「中継ぎ」だと​思っています。

二百年つづいた​命の​前では、​一軒の​農家の​時間は​ほんの​ひと​区間です。​私たちの​仕事は、​この​血統を​自分の​代で​立派に​育て、​次の​走者へきちんと​手渡す​こと。​2012年、​サンタクロースの​衣装で​始めた​飛び込み営業から、​松橋和牛は​帝国ホテルの​料理長や​国内外の​シェフたちに​愛され、​香港・​シンガポール・北米の​食卓へ​渡ってきました。​世界一を​目指すのは、​この​バトンの​価値を、​世界中に​知って​もらう​ためです。

2つの​名前について

松橋農場の​和牛には、​2つの​名前が​あります。
竹の​谷蔓牛は、​岡山・竹の​谷から​受け継いだ、​日本最古の​血統の名前。
松橋和牛は、​その​血統を​十勝の​風土で​育てた、​松橋農場の​黒毛和牛の名前。
呼び名は​違っても、​育てているのは​ひとつの​系譜です。

絶やさない。
それが、​いちばんの​贅沢だから。

竹の​谷蔓牛は、​たくさんは​育てられません。​早くも​育ちません。​それでも​私たちが​この​牛を​選ぶのは、​子ども​たちの​世代に​「本物の​和牛」を​残したいからです。​この​牛を​知る​こと、​味わう​こと、​応援する​こと。​その​すべてが、​二百年の​物語の​続きに​なります。

株式会社松橋農場 代表取締役松橋 泰尋

この​物語の​続きに、​あなたも。​松橋和牛の​お取り​寄せは​準備中です。